ローマの税制

古代ギリシャでもローマでも、税の主体は間接税。

都市国家における主権は市民である。

市民の権利は国政への 参与、義務は国家の防衛と考えられていたので

防衛を担当する者への直接税は免除されていた。

ローマ市民(属州民)は収入の10%の支払いの義務があった。

ローマの同盟諸国は基本的に独立国なので

税の負担はなかった。

権力があり富雄享受できる者にとって名誉とは

公共事業に私財を投じること、という伝統があり

私財を投じることにより

富の格差の不公平感、 財政赤字を補っていた。

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ローマとカルタゴとの戦い。

ローマとカルタゴは3度にわたり死闘を繰り返す。

1度目は前264年から前241年 までの23年間。

2度目は前218年から前202年までの16年間。

3度目は前149年から前146年までの3年間。
これによりカルタゴは滅亡する。

1度目の戦いは

海の戦いを得意とするカルタゴ対、陸のローマという形であったが

 ローマは「カラス」いう仕組みを考え、船に取り入れた。

カラスとは桟橋のようなもので

敵船に近づきカラスを放ち一気に敵の船になだれ込むのだ。

今までの戦い方と違う、ローマ人の柔軟な発想による勝利であった。

第2回はカルタゴの名将ハンニバルとの戦い。
海戦国という裏をかき

アルプスを越えてローマに攻め入った。

その後16年間イタリア半島に居座 ったが

常勝ハンニバルは最後はザマの会戦で敗れた。

第3回は3年と、短い年月、カルタゴは敗れた。

ローマはカルタゴを破壊し塩をまき

不毛の地としてしまう。

しかし後にユリウス・カエサルにより

カルタゴの再建策が掲げられ

アウグストゥスの手で現実となる。

その後ローマの重要都市としてローマ帝国が滅亡するまで

その地は繁栄を続ける。

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