Oji’s 備忘録的 Diary

日々の読書からの備忘録です。

パンとサーカス

パンとサーカスという言葉に要約されるように、

ローマ人といえば小麦の無料配布を国から受け、

働く必要もない 。

これまた無料で提供される見世物を楽しんで遊び、

それらの費用は非支配者である属州民からの搾取で賄われた

というのが定説となっている。

 

パンとサーカスというのは紀元100年前後に活躍した

風刺詩人ユヴェナリスが言い出したもの 。

 

パンとサーカスの始まりは紀元前123年。

ガイウスグラックスが成立させた小麦法から始まる。

 

国家が一定量の小麦を買い上げ、

それを市価の半値程度で都市のプロレタリー

(日々の 労働によって生活の糧を得るしかない人々)に

売ることと決めた法律。

 

その後、元老院派のスッラにより撤廃されるが、

民衆派コッタにより復活する。

 

配付数の上限を4万人としたが

元老院派小カトーがその上限を撤廃、
それに対抗した民衆派クロディウスが配布を無料化した。

これは共和政時代の話。

帝政時代になり配給者数が変わっても、無料配布は続く。 

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受給資格者は貧民だが

実際は
首都在住のローマ市民権の所有者なら誰にでも権利があった。

 

需給量は 1日に32.5 kg。
家族が生活をしていくには少ない量であり、

生活をしていくための最低保証なのであった。

 

さてローマ人の休日は不定期であったようだ。

年間約65日と言われており、

現在の先進国とそれほど変わらない数字であった。

 

休日の多くはただ祭儀が行われるだけであったが

あわせて皇帝たちがスポンサーとなって

大規模な見世物が行われた。

 

それは皇帝の人気とりであり、

また世論調査の機能を果たしていた。

 

ローマの1日とは、24時間を

日の出から日没までの12時間、

日没から次の日の出までの12時間としているので、

季節で1時間の長さが違う。

 

通常は日の出前に起き6時頃から仕事、

正午から午後1時ぐらいで終了、その後昼食。
2時からは公衆浴場で疲れを取る。

 

ローマ以外の属州にも

ローマと同様な闘技場があり、公衆浴場がある。
ということは、おそらく

属州民もローマ人と同様の生活を行っていたのではないだろうか。