Oji’s 備忘録的 Diary

日々の読書からの備忘録です。

アントニオ・ガウディ

1900年前後、スペインが生んだ3人の天才画家がいる。

ピカソ、ミロ、ダリ。

 

いずれもカタルーニャを通って世界に旅立っている。

ミロはバルセロナ出身、

ダリはバルセロナから車から2時間ほどのフィゲラス

という街、

ピカソはマラガで生まれたが14歳の時にバルセロナに移り住んでいる。

 

カタルーニャは中世以前は独立国家であった。

15世紀後半にスペインに統合、

20世紀初頭には独自の文化を再生しようとする

レナシェンサと呼ばれる運動が活発になる。 

それは

ピカソ、ミロ、ダリといった画家を輩出するきっかけとなった。

 

だが

その運動だけでなく、少なからずガウディの存在が

彼らに影響を与えたのは間違いない

(ちなみにピカソはガウディを毛嫌いし、風景画からガウディの手による

建築物の存在をなくしたりしている)。

 

さて

ガウディは職人の家に生まれた。

父親は銅板家具を作る職人、祖父、また曽祖父も職人である。

 

彼は子どもの頃から体が弱く

友達が走り回るなか、座って見ている子どもだった。

そういったときに身近に自然を感じたのかもしれない。

また職人の家に育ったことが

造形、思考の根本となっているのであろう。

 

ガウディとよく比較される同世代のスペインの建築家として

ドメネク・イ・モンタネールがいる。

彼はガウディが世に出たときにはすでに活躍していた。

今日では

歴史の評価がガウディに大きく振れているので

「ガウディになれなかった男」

などと言われているが、

技術力、装飾性などが優れており

彼の生前の評価はガウディのそれよりも上であった。

また

エリートで社会的地位も高かったモンタネールは

職人気質のガウディと違った点もあった。

 

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ところでガウディが表舞台にいられたのは

スペインのカタルーニャの大富豪、エルセビオ・グエル(Eusebi Güell)

との出会いが大きい。

グエルはガウディの才能に気づき、彼をサポート、その才能を開花させた。