大量絶滅諸説

天体衝突説の支持者は K-T境界層を作ったと思われる衝突の 直接的痕跡が発見されていることを重視している。 1989年、ユカタン半島北部の地下で確認された チチュラブクレーターがそれに該当する。 直径が200キロに達し 隕石の衝突エネルギーは絶滅が起こっ…

大量絶滅の原因

顕生累代が始まって5億4000万年の間に 前述の5大絶滅を含め 少なくとも11回の大量絶滅が起こったとされている。 絶滅が起こらなければ次の大きな進化は起こらず 地球の生物層は古いまま持続したであろう。 生物は生息環境が変わらない限り 基本形態も生態も…

白亜紀の大量絶滅

中生代は三畳紀、ジュラ紀、白亜紀に分けられる。 白亜紀は約1億4550万年前から6550万年前までの間。 ジュラ紀を通じパンゲアは地球唯一の大陸としてあり続け 恐竜たちは歩いてどこまでも分布を広げ繁栄した。 陸上では恐竜が生態系の上位を独占していたが …

三畳紀の大量絶滅

三畳紀はペルム紀に形成されたパンゲアがそのまま維持され 全般的に温暖な環境で始まった。 2億5100万年前から19980万年前までの約5100年間で 三畳紀末の絶滅は 古生代から続いた古い獣動物の系統をほぼ一掃した。 三畳紀の絶滅の始まりは 最後の期、 レート…

ペルム紀の大量絶滅

カンブリア紀から始まった古生代は 2億9100万年続いたのち、 ペルム紀の終わりとともに幕を閉じる。 この時 古生代を代表する全ての系統は 地球史上最大の絶滅によって除去され 爬虫類が地球生態系の頂点を独占する中生代が始まる。 ペルム紀はデボン紀のの…

デボン紀の大量絶滅

デボン紀はオルドビス紀終了後 シルル紀を挟み、4億1600万年前から3億5920万年前まで およそ5700万年にわたって続いた。 デボン紀は「魚の時代」である。 デボン紀初期には石灰化した骨格を持つ初めての 本格的脊椎動物、原生の魚の大半を占める、 硬骨魚類…

オルドビス紀の大量絶滅

顕生累代以降、 「紀」や「代」のように大きな区分において 大きな生物層の入れ替わり、 大量絶滅およびそれに続く適応放散が起きている。 これまでに何回、大量絶滅が起きているか。 1986年、シカゴ大のデヴィッド・ジャヴロンスキーが 最も規模の大きな絶…

原生代

地球は約46億年前、原始太陽系星雲の中から析出された微惑星が 衝突過程を経て集積し、現在の大きさまで成長をしたと考えられている。 誕生から6億年ほどの期間を「冥王代」または「ハデス代」と呼び、 この時代に地球に海ができ、 海の水が地球を包む分厚い…

大進化と大量絶滅

自然選択的現象は確かに起こっている。 米プリンストン大学の研究チームが1973年から継続的に行っている ガラパゴス諸島のフィンチ類の観察、 英アバディーン大学による1991年の ドミニカで行ったトカゲを使った実験など、 1980年代半ばで140例ほどの報告が…

DNA、RNA

2004年10月、 ヒトゲノム31億塩基対のゲノムの中に遺伝子、つまり、 読み出し開始コードと終止コードに挟まれ 特定のタンパク質を指定している部分は 21,787個しかないと発表された(ハエは20,000個)。 塩基数でいえば1.2%に過ぎない。 後に、空白と思われ…

人の標準形

生物の体はタンパク質でできている。 タンパク質はアミノ酸が多数連なったもの。 どんなに複雑で巨大なタンパク質分子も20種類のアミノ酸の 順列組み合わせだけでできている。 この20種類は地球上のすべての生命で共通しており 同じ共通の祖先から進化したこ…

ダーウィンの考えた進化

ダーウィンの考えた進化とは種が完成を求めて洗練されていく進歩ではなく 環境ありき、のものであった。 環境に適応し、より効率よく生きることができるように変化していくことを 進化と考えた。 それが「自然選択説」である。 生存にとって有利な変異が受け…

進化

地球がいつ生まれたか 古代、東ローマ帝国が栄えていた時代はすぐに答えが出てきた。 紀元前5508年である。 988年に東ローマ帝国が最終採用した、世界創造紀元暦の元年だ。 神による天地創造が行われた年である。 1600年代になると英国国教会が 紀元前4004年…

スパイ編・最終

スパイの報酬は決して多いものではない。 情報のやり取りには賄賂が必要だが この賄賂も経費である。 人によっては水増しして本部に請求し、ストックをする。 情報収集は賄賂がないと成り立たないのだ。 Embed from Getty Images // 捕まってしまったら 1 …

足跡を隠し監視を逃れる手段

スパイが足跡を隠し、監視を逃れる手段として 1 目的地への移動の時は、滞在ホテルから移動先への飛行機、 ホテルを予約する。 しかし実際の移動地への飛行機、ホテルは郵便局から予約する。 2 空港へ。 荷物は仮の目的地へ、本人は本当の目的地へ飛ぶ。 3…

スパイになるにはまず訓練

まずは実地で尾行の訓練集団。 訓練場で訓練するというのは第二次世界大戦中の話。 訓練の50パーセントくらいは実地で役に立つ。 スパイの供え、 持っていなければならないもので一番重要なものは運。 運と それをうまく利用する能力で、 それは一般社会でも…

スパイになるには

情報部に入るには 秘密情報部の部局と何らかのつながりを持つものは 人物を知る人と知り合いになること。 軍情報部の退役大佐、実録スパイものの出版社員、 特捜部の警官、そういう人の秘書など。 はじめから話を切り出してもダメで、 信頼を得、自由に話し…

スパイ能力テスト

スパイ能力テスト、10の質問 1 志望動機 2 年齢 3 嘘がつけるか 4 勇敢か 5 情報収集力 6 違法行為ができるか 7 友情について 8 社会生活について 9 飲酒について 10 無節操であるか250点満点である。 Embed from Getty Images // 235から250点 利…

アジアのアールデコ

アジアのアールデコとみなされる建物の 建築家の出自は多様で フランス、アメリカ、イギリス、オランダ、ハンガリー、 日本、中国、韓国に及んでいる。 アールデコの建物がどれくらいあるかというと フランスやアメリカとの関わりはあまり関係なく 1920年か…

フランスのアールデコ建築

1931年 植民地博物館、正面の広大な壁面全体のレリーフが特色。 近代美術館、シャイヨー宮、パリ万博の際に建てられた。 1930年 パリ国立銀行(BNP 本店) 1928年 サマリテーヌ百貨店2号館 ミュージックホールの代表作は1929年 フォリベルジェール、正面のフ…

アールヌーボーの勝利

1925年、現代装飾芸術・工業美術国際博覧会の建築。 この博覧会は基本的に工芸のための博覧会であった。 西洋において古代以来、工芸家は 建築、絵画、彫刻に比べ、一段低く見られていた。 工芸家たちは芸の地位を向上させようと協会を作り サロンに作品を出…

アールデコの建築家

アールデコを代表する建築家の名前をあげるのは 意外に難しい。 専ら建築の内在的な探求から生まれたのではなく、 商業的、政治的な要求に応じた結果か。 服飾家具、照明器具、ポスターなどは デザイナーを簡単にあげることができるが、 建築となると容易で…

アールデコ の時代

アールデコの時代は1920年から1930年代。 二つの世界大戦の間の時代となる。 アールデコは大衆を相手として生まれたスタイル。尖鋭的なアバンギャルドではなかったアールデコの作品は 鮮やかで官能的である。 アールヌーヴォーの繊細な官能性がアールデコで…

アールデコとは

アールデコは1920年から1930年頃 二つの世界大戦の間に主流をなした。 造形形式の総称であるが、定着し始めるのは 1960年代の半ば以降である。 この名前は1925年にパリで行われた 現代装飾芸術・工業美術国際博覧会にちなむ。 この博覧会の名称の一部、装飾…

ローマの奴隷制度

ギリシャもローマも奴隷制の社会であったが、ギリシャでは 生涯、奴隷は奴隷として生活するのが普通であった。 一方ローマでは 解放奴隷という存在が定着しており奴隷から解放される資格者にはローマ市民権さえも与えられた。 ローマ人家族は奴隷と密接に関…

パンとサーカス

パンとサーカスという言葉に要約されるように、 ローマ人といえば小麦の無料配布を国から受け、 働く必要もない 。 これまた無料で提供される見世物を楽しんで遊び、 それらの費用は非支配者である属州民からの搾取で賄われた というのが定説となっている。 …

ローマ法について

ローマ法の基本は 人間に法を合わせるということ。 ユダヤの法は基本的に神が創った法,したがって規律に絶対である。 それに対しローマ法は人間が作った法、 それゆえ時に応じ人間に合わせ修正されていく。 ●ローマの都市計画ローマ式都市は ローマの被征服…

ローマ皇帝、ローマの市民権

ローマ歴代皇帝の中でも評判が悪かったのはカリギュラとネロだが 庶民には人気があったようである。それは 二人とも初代皇帝アウグストゥスの血筋ということ、 そしてカリギュラは二十代半ば、 ネロは10代後半と若い皇帝であったこと、 ふたりの行った悪事が…

ローマ人と日本人の似たところ

ローマ人は風呂好き、 しかもイタリアは火山地帯なので温泉が出る。古代ローマ人は温泉に浸かることも大好きであった。公衆浴場があちらこちらにあり 身分の隔たりもなく裸で浸かっていたとのこと。 Embed from Getty Images // またローマ人は肉食ではなく…

ローマの税制

古代ギリシャでもローマでも、税の主体は間接税。都市国家における主権は市民である。市民の権利は国政への 参与、義務は国家の防衛と考えられていたので 防衛を担当する者への直接税は免除されていた。ローマ市民(属州民)は収入の10%の支払いの義務があっ…